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ホーム旅するコーディネーター/イタリア世界遺産
土地の秘密・お勧め情報
【イタリア49カ所の美しい世界遺産(ダ・ヴィンチの絵画)】

あなたの、お気に入りの場所がきっと見つかります!

❁ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」のサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会とドメニコ会修道院❁
  登録年:1980年 ミラノ市内

ドメニコ会修道院の食堂の北の壁には、1495年から1497年にレオナルド・ダ・ヴィンチによって描かれたフレスコ画の「最後の晩餐」があります。完全予約制で、世界で最も見るのが難しい絵画と言われています。

奥のほうまで食堂がつながって見える一点透視図法で、人類の創造的才能を表現する傑作として、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会と隣接するドメニコ会修道院は1980年に世界遺産に登録されました。


最後の晩餐

【イタリア49カ所の美しい世界遺産(オルチャ渓谷)】

あなたの、お気に入りの場所がきっと見つかります!

❁ヴァル・ドルチャ(オルチャ渓谷)❁ 登録年:2004
オルチャ渓谷一帯(トスカーナ州)
 
イタリア中部、シエナの農村地帯にあるヴァル・ドルチャ(オルチャ渓谷)は、14~15世紀にはシエナの領土となり、美しい景観づくりが守られました。ルネサンス時代から今もなお続く美しくてなだらかな丘、農家や集落は、多くの芸術家達に愛され創作意欲を描きたてられる景観となっています。

オルチャ渓谷
美しい景観

南イタリアお勧めホテル ~プーリア州 カステラーナ・グロッタ~

seragambetta(セラガンベッタ)

プーリア州 カステラーナ・グラッタに位置するアグリツーリズモのご紹介。世界中から観光客が、長期滞在で訪れる施設です。各客室は部屋ごとにテーマが別れており、広さや設備も利用用途によって選べます。

夕食にはオーナードメニコのマンマより手料理を振舞ってもらえ、地元プーリア州の伝統料理が楽しめます。

またこの宿には、様々なアクティビティーを用意してあります。
屋外プール、クッキングスクール、農場体験、レンタル自転車などあり、特に数名から団体で行う料理教室は人気があります。また、何もしないでイタリアの田舎暮らしを楽しむのもアグリツーリズモに滞在する楽しみの方法の一つと言えるでしょう。

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アグリツーリズモ外観

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アグリツーリズモ セラガンベッタ のホームページはこちら: http://www.serragambetta.it/

南イタリアお勧めホテル~アマルフィー~

HOTEL LA PERGOLA ~amalfi~

アマルフィーの街の中心からポジターノ方向に車で5分程走ったところに位置する、海岸沿いの道に建つ家族経営のホテルです。
とても清潔に清掃されている室内のインテリアは海をイメージしてか、主にブルーでまとめられています。ベランダからはサンタ・クローチェ湾が見渡せます。

ホテル敷設のレストランでは元コックのマンマが地元の素材を利用して、シンプルで素材の味を生かした料理を作ってくれます。裏庭で採れたオーガニックの野菜の料理、そしてレモンを利用した食後酒、リモンチェッロやレモンのタルトなど、料理はどれをとってもマンマのやさしい味付けです。

ホテルの前には、バスの停留所がありソレント方向、サレルノ方向へとバスが出ています。

la pergolaホテルのファサード外観、下記は各室に備わっているベランダとパブリックスペースのテラス


ホテル ラ ペルゴラのホームページはこちら: http://www.lapergolaamalfi.it/index.htm

マテーラ

世界遺産に登録をされているマテーラ。
一般的なガイドブックには書かれていない、少しディープなマテーラを、郷土愛にあふれたガイド白旗寛子さんからお聞きした内容を基に、「建物の外装、内装制限」、「マテーラのホテル」、「マテーラの民家」についてお伝えします。

マテーラの民家

マテーラは世界遺産に登録されていますが、以前は洞窟をくり抜いた居住空間に人間と動物が一緒に暮らす事によって生じた衛生面の問題、そして住民の過密化による生活環境の悪化などにより、「苦難、そして国民的な不名誉のシンボル」として言われていました。

1952年の法律により、住民は新しく建てられた住宅地のアパートに移住。そして長年放置されていたサッシは現在では、住居、工房、ホテルとして再生をとげています。
現在もなお残る、廃墟になった住居の後、そして昔のマテーラの人達の生活ぶりをお伝えします。


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昔のマテーラの住居にはパンを焼く釜が各家庭になく、共同の釜でパンを焼いており、焼きあがったパンがどの家庭のパンか分かるために成型したパンにイニシャルの型を押していた。
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今ではおみやげ品として売られている。
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マテーラの民芸衣装を着ているこの人形。昔はチーズで出来ていて赤ちゃんのおしゃぶりとして使用されていた。
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50年前までは実際に利用されていた、サッシの民家のキッチン部分。
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サッシエントランス部分を住居内部より見上げた様子。
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洗濯板。
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廃墟となっている住居のかまど部分。入り口はエントランスのみという構造から、かまどは入り口付近に設けられている。
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外部から見た排気口。



「マテーラのブティックホテル・I'hotelinpietra」
ブティックホテルとは、部屋数が少なく、専門性を持ったホテルの事を指します。日本ではデザイナーズホテルなどが、ブティックホテルと呼ばれています。
ホテル独特のコンセプトを持っており、個性的なホテルが多く、世界的にも今非常に人気のあるホテルスタイルです。

下記のブティックホテルは、中世のマテーラのサッシ(洞窟住居)の建物をそのままま生かし、まるで隠れ家のようなコンセプトホテルに仕上がっています。

内装は非常にモダンでありながらも、エレガントさを感じられるデザインとなっており、客室は4つのスタンダードルームと4つのスイートルームからなっています。マテーラ天然のアースカラーの石を積み上げた構成で出来ており、部屋の間取りは14世紀の構造を生かしつつ、そこに新たに手を加えて現在でも使い勝手の良い状態に仕上がっています。
共有部分には高級感あふれるエントランスホール、読書室、禅ルーム、ワインセラーが備わっています。

非常にモダンでスタイリッシュな内装であるにもかかわらず、伝統的なサッシの素材、色を使用している事から中世へタイムスリップをしてしまった感覚を覚え、幻想的で非日常的な空間を楽しみたい人にはお勧めのマテーラ隠れ家ホテルです。

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ホテルフロント・ホール部分。アーチ状にくり抜かれた空間が、サッシ=狭いというイメージをまったく感じさせなく、ゆったりと高級感が感じられる作りとなっている。

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スイートルームの1室
アースカラーにまとめられた室内。クロークの上はロフトになっており、小さな階段を上っていく。

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階段を上がったロフト部分にあるベッドルーム。

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ロフトの部分よりさらに一段上がった小さなスペースからはマテーラの街並みを眺める事が出来る。

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美しいレリーフが彫られたミラーと洗面ボール。

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洞窟でシャワーを浴びるような錯覚を覚えるバスタブ。

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別のスイートルームにあるロフト部分のオーディオ類とソファー。

マテーラブティックホテルI'hotelinpietraのサイトは こちら




「マテーラの建物の外装、内装制限」
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1993年世界遺産に登録され、ユネスコの保護を受けているサッシ(洞窟住居)。家を天候の問題から守る為に人工的に穴がほられ、住居、馬小屋、教会、ワイナリーとして使用されました。
貧しい住居は、換気と採光が入り口からのみとなり、人間が動物と同じ住居で暮らしていた事などから、苦難や不名誉のシンボルとしてとらえられていましたが、現在ではサッシをリニューアルして約350世帯の人々が生活をしています。


世界遺産に登録されているマテーラには外装制限があります。

・外壁=トゥーフォ(石灰岩)のブロックを磨いたもの、または石灰乳で塗装して仕上げなくてはならない。

・屋根=粘土製のかわら Coppi d'argilla

・雨どい=テラコッタ製 Cotto

・開口部の枠
(外枠=オリーブグリーンまたは茶色で、木製)
(内枠=白色)

・ドア=オリーブグリーンか茶色で、木製


街灯=鉄柱・傘の形状から光源の種類まで、すべて同一規格のものを設置。

内装についても、外装ほど厳しくありませんが、規定があります。
例床材=焼成したタイルCotto、木、大理石など石材の中から選び、光沢のあるCeramica製の床材は、使用不可。(旧市街地や新市街地の比較的新しい住宅はOK)

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マテーラの住宅の換気扇。

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マテーラの街は建物の構造がおもしろく、今歩いている道が、どこかの民家の屋上であったりします。

個人的なスペースが最小限に抑えられ、公共部分を隣人と分け合って生活をしている住居形式を見ると、住民達の結束性や社会性をスペースを共有する事によって生み出していた事が伺えます。

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マテーラの日本人とし通訳やガイド他活躍されている白旗寛子さんのブログはこちら

アマルフィー

アマルフィーはヨーロッパ屈指のリゾート地であって、観光事業は最も重要な活動の一つであります。また五つ星ホテルとアグリツーリズム, 海と山などの相反する魅力をあわせ持つ土地です。

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アマルフィーは中世の海洋都市国家の一つでありましたが(アマルフィ、ピサ、ジェノヴァ、ヴェネツィア)、どの海洋都市よりも早く、中東などとの貿易を富の基盤として発展していきました。その影響か、町中心にあるduomo(ドーモ)はアーチや色使い、模様などからイスラム文化の様式を強く感じられるデザインとなっています。

港から山への中腹へ向かう斜面には白い住宅地が積み重なり、いかにも地中海都市らしい迷路のような路地と階段は、独特の雰囲気をかもし出しています。
工業生産は古代からのハンディクラフト精神にのっとり発展をしてきており、メインのプロダクツはアマルフィーの紙や、古くからのテクニックを継承しているvietri方式のセラミックなどがあります。

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しかし最も素晴らしいアマルフィーの魅力は景観の美しさと豊かな食であると思います。
まず世界遺産にも指定されているアマルフィー海岸は断崖絶壁に沿って作られた道路を走ると、次から次へと現れる奇跡のような絶景は息を呑むほどに美しく素晴らしいです。
そしてこの断崖の町には地元の人しか訪れないようなプライベート感あふれるビーチも多く存在し、勇気を出して探索をしてみると・・・そこにはエメラルドの海と海に突き出たカフェテラスなどがあり、ビーチを独り占めしてしまったような至福の時が楽しめます。

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:階段を降りると現れるエメラルド色の海

:絶壁に建つ住宅のテラスからの風景
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そして、最も重要な美食の食物はlimone costa d'Amalfiと呼ばれる、とても大きな形をしたレモンです。皮が厚くて、優しくて非常に良い香を町中に漂わせています。そしてこのレモンは、アマルフィーのシンボルでもある有名なリキュール”リモンチェッロ”になったり、さわやかなレモンケーキとなったりします。
ぶどう園も非常に重要資源となっており、地元で作られるワインやオリーブオイルも上品な味わいです。

アマルフィーの訪れた際の楽しみ方はいろいろです。潮風に吹かれながら海の幸や、豊かな土地の恵みを堪能したり、海を見てボーっとするも良し、セラミックの工房を訪ねるのも良いでしょう。ぜひ一度その魅力にはまっていただきたい土地です。
急斜面に実った、たわわなレモンの良い香と小鳥のさえずり、青い空と海に心と体も癒される、アマルフィーのご紹介でした。

アマルフィーの地図はこちらをどうぞ

アマルフィーのホテル選びにはこちらを参考にどうぞ

ナポリから電車にのりソレントへ1時間、そこからバスに乗り継ぎ約40分程で、世界でも最も美しい海岸の一つと言われている、アマルフィー海岸の一部であるポジターノに到着します。ポジターノはSALONEで販売しております、絵画のモデルとなっている場所でもありとても美しい場所。そんなポジターノの歴史を少しだけご紹介です。

ポジターノの写真1

伝説ではポジターノは、海神ポセイドンが愛したニンフの為に、作られたといわれています。
16世紀及び、17世紀にポジターノの所有した、丈夫な高速船は中東と香辛料や絹、銘木などの貿易を行いました。多くの美しいテラスを持ったバロック様式住居が海に面して建てられたのもこの時期です。

ポジターノの写真2

イタリア統一の後に、ポジターノの多くの住民は、アメリカに富を探して移住。そして、第一次世界大戦中には多くの市民が亡くなりました。
その後は、多くのロシア人、ドイツ人アーティスト、および作家がポジターノに移り住み、彼らの芸術を通して、ポジターノは世界的に有名な場所へと変わっていきました。

第二次世界大戦後は、映画監督、画家、作家などがポジターノの美しさ、大気がかもしだすマジック、そして漁師達の生命力に非常に魅了され、彼らは古い家や、修道院の再構築を計り、すばらしい別荘が次々と建てられました。

そしてポジターノは今、多くの芸術家が移り住む、ヨーロッパ屈指のリゾート地となっております。
また、ポジターノ周辺の一帯を指すアマルフィー海岸は、その美しい景観と手付かずの自然から、ユネスコの世界遺産に登録されています。

ポジターノの地図はこちらをどうぞ

ポジターノのホテル選びにはこちらを参考にどうぞ